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ニュージーランドで生ビール1杯飲んで車を運転してスピード違反で捕まった時に撮りました。あちらでは1杯ほどのアルコールは認められています。

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地元田草川の掃除に行ってきました。
田草川掃除3


綿塚区の呼びかけで役員さんや組長さんが参加しました。
田草川掃除2



話を聞きつけた私は志願兵でした。
田草川掃除4


甲州市には各地区に環境保全の事業費が配られるのでその一環の事業
田草川掃除1


よいことだと思います。


慰労会の食事とノンアルコールビアをいただきなりながら


音頭取りの区長さん

「今日はご苦労様でした。今日の写真をお役所に持っていくとうんと褒められて優先的に河川の改修とかやってくれるから・・・」

う~ん、できれば
「故郷の川はきれいであってもらいたいから!!俺達はやった。どうだ!みんなありがとう!」

って言ってもらいたかったです。


よいことだけど。


田草川への想い







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2010/12/23 07:17|勝沼のこと

 

勝沼の勝沼地区の懇談会で「鳥居焼きに電飾を」という意見が出され(というかすでに議会でもとあるギ院さんが電飾点けてね、ってお願いしているみたい)リーダーさん、思わず「やります」的なことを言ったと聞いて、居ても立ってもいられずにリーダーさんに手紙をしたためました。

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日頃は甲州市市政そして市民のためにご尽力くださいまして誠にありがとうございます。私も市民として何ができるのかを 模索しながら日々を送っております。

さて、先日の勝沼地域懇談会において「鳥居焼きを電飾に」と いう意見が出されたと聞きました。お隣、笛吹市では春日居の笈型焼き、一宮の大文字焼きが観光シーズンと共に電飾が灯され、夜空にその姿を浮かび上がらせております。甲州市の鳥居焼きも、というお気持ちだとは思いますが、私は「鳥居焼き」が私たち住民にとってどんな存在なのかをご説明させていただきたく手紙を書かせていただいております。

10月の第1土曜日に開催されるぶどうまつりは、火の祭りとも 言われています。祭りの当日、町内が夕闇に包まれる頃、町の東端にそびえる柏尾山の中腹では、鳥居の形にそって積み上げられた薪に火が点けられ、祭りのクライマックスを迎えます。火を灯された薪は、幅約50メートル、高さ70メートルの巨大 な鳥居の形を浮かび上がらせ、かな雰囲気を醸し出します。

勝沼に古くから伝わる鳥居焼き。その原点は京都の大文字焼 きと同じ盆の送り火で、かつては7月15日の晩に行われていました。鳥居の形は、京都や松本などにも見られ、現世と来世の境を表すものと考えられています。

その後、長い歴史の中で時代の流れとともに「盆の送り火」としての性格からぶどうまつりの祭事へと変わり、実施日も変わるとともに鳥居焼きに込められた人々の気持ちも少しずつ変わってきました。しかし、鳥居焼の原点である「先祖を供養する気持ち」は、「勝沼の暮らしを築いてくれた先人に感謝する気持ち」、また「その年のぶどう、ワインの収穫に感謝する気持ち」とともに、これからも伝えていきたい大切な心であります。

鳥居焼の歴史は古く、江戸時代初期の慶長6年(1601年)に行われた検地の際、現在の鳥居焼が行われているこの辺りを「鳥居平」と名付けていたことから、この頃すでに鳥居焼が行われていたと考えられています。当時の鳥居焼は「盆の送り火に加えて病害虫駆除と豊作の祭り」として受け継がれました。 当時の勝沼の様子を記した「勝沼古事記」は「安政5年(1776年)7月15日夜、鳥居の火を取り逃がし山に入り大騒ぎ」の記録を伝えています。

明治時代になると諸般の事情から鳥居焼は取りやめとなりましたが、勝沼生まれの画家上野一雲が明治26年(1893年)に描いた「甲斐国柏尾山一覧図」には、その当時伝えられていた鳥居焼の位置や姿が克明に描き出されています。

その後、明治40年(1907年)に鳥居焼は復活しましたが、2度にわたる大水害に見舞われ取り止めとなりました。昭和9年に「葡萄祭り」として雀宮の祭礼と合わせ10月15日に変更して再び復活しましたが、戦争の拡大によりまたもや中止されてしまいました。

昭和21年に果樹地帯の祭りとして新たに「葡萄祭り」が行われるようになると、昭和23年(1948年)15年振りに鳥居焼も「鳥居平火祭り」として復活しました。昭和29年の町村合併に伴う新制勝沼町誕生(勝沼町、祝村、東雲村、菱山村の合併)以降は、この年を第1回とし、10月15日の町制祭の記念行事として勝沼町挙げての祭りとして継承され、昭和37年(1962年)に葡萄観光シーンに合わせ実施日を10月1日に変更、平成2年(1990年)からは10月第1日曜日に実施することとなり、さらに平成の合併において甲州市となり現在は第1土曜日に実施されています。

鳥居焼の火は昔も今も国宝・大善寺本堂で厳粛に行われる護摩法要の儀式で採火されます。大善寺で炊かれた護摩の火は、分火され次代を担う中学生たちの手によって町内を廻わります。人々は聖火ランナーが走って廻るその炎を見つめ、先祖への思いや供養する気持ち、また、収穫を感謝する気持ちと、さまざまな思いを込めます。こうして、町内を廻った炎は、人々のさまざまな思いや願いとともにぶどう祭りのメイン会場である中央公園へ集められ、そこから柏尾山へと向かいます。夜空を焦がす鳥居焼の炎には、こうした多くの人たちのさまざまな思いや願いが込められているのです。

鳥居焼は毎年下草刈りから準備が始まります。下刈された山の斜面には、町民ボランティアの手によってひとつづつ丁寧に護摩木が積まれます。私もボランティアとして必ず護摩木積みには参加します。以前は地域が持ち回りで護摩木積みを行ったり、業者委託された時期もありましたが、現在は有志ボランティアの力で大切に心を込めて護摩木は積み上げられます。

約50センチの松割木を一束当たり20本程度の束にして、350束ほどの護摩木を準備します。それを山の斜面の鳥居形に沿って並んだボランティアの手渡しで、下から上への運び上げます。134箇所の火台に、高さ約70センチの10段積みの井桁に組んで積み重ね、祭り当日の点火を待つこととなります。井桁の護摩木は、鳥居焼本来の姿に照らし合わせたとき、亡くなった自分たちの親戚、縁者、知り合いの顔を思い浮かべながら、心を込めて一本いっぽん大切に積む、私たちにとっては先祖や亡くなった方を思う大切な行事であります。

炎で灯された鳥居は亡くなった方々がこの世に戻る唯一の道しるべです。電飾はとうていそれに変わりえるものではありません。観光目的とはいえ、鳥居の形を利用することすら私は理解が苦しみます。

同じ地域の方々から電飾を望む声が上がっていることは非常に残念ですが、私自身、地域のお祭りや伝統文化を、先人達の思いとともにその地域に住む人々にいかに繋げていくかを考える時期にあると強く感じています。

先人達が作り上げた歴史的な産業遺産が観光資源として活用され、注目を浴びつつある甲州市。しっかりと本質をとらえ観光資源として活用されることを切に願います。
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なんで本物が偽者の後を追う必要があるんだろう。電気つければ人が来る、的な発想はとっても危険だし、そんな薄っぺらな観光じゃお先が見えちゃうしね。

あーだ、こーだじゃなく、理屈じゃなくイヤ。ただそれだけ。価値も誇りもあったもんじゃねえし。
2009/09/17 23:18|勝沼のこと

 

たまに現れるんです「スーパーマン」

この人、観光カリスマだけあって(落ちた人じゃなくって)県の審議会とか委員会に有識者として名を連ねていたりする。まわりの先生方がネクタイをバチッと締めて知事から委嘱状をもらっているのにひとりスーパーマンのtシャツ着てる。

朝市のチラシを配りで寄りこんだ民宿szk園さん。オーナーさんが「来てるよ」と目配せした先には真ん中葡萄酒の親分さんとスーパーマンと他こざっぱりした若手の方がお二人。

どうしてこんなに存在感があるのか。そのスーパーマンに「どーも~、いいですね。どこでもスーパーマン、県の硬い会議でも審議会でもスーパーマン」

「おー久しぶり!このスーパーマンのSはスケベのSだからさ」

なんなんだろうこの人。でも、すげぇ。
2007/11/27 06:50|勝沼のこと

 

その後、田草川の調査は、まちづくりプロジェクトの一員でもあったSさん(高校教師)が自分の高校の生徒と定期的な調査を引継ぎました。勝沼(しらべ)調査隊です。勝沼調査隊では日川まで範囲を広げ調査を行っています。
IMG_7933_200.jpg


そして10月の調査に私も同行しました。調査ポイントは勝沼唯一のスーパーマーケットの横の伏木橋。雨がしばらく降っていないため水量は少ない状態でした。川の水を汲みパックテストとアクアチェックをそれぞれ3度行いました。
IMG_7945_200.jpg


そして今回はなんと調査史上最悪の結果が出てしまいました。半分清水で薄めても測定限界値をはるかに超える結果がでてしまい結局川の水の濃度を1/4に薄めてはじめて調査が可能になりました。
IMG_7930_200.jpg


なぜそんなに川の水が汚れていたのかはわかりません。そこまでの調査もできません。ましてや原因をつかんだとはいえその出所を突き止めてお仕置きを与えることも。勝沼調査隊ですから、調査だけをやっているわけですから。勝沼なおし隊じゃないですから。
IMG_7934_200.jpg


さらにつづく
2007/11/12 21:26|勝沼のこと

 

勝沼はぶどうとワインの故郷。その勝沼で生まれて勝沼ですくすくと育ち、勝沼を一歩でたところで立派に重川に合流する田草川。

かつぬま朝市が第2期に開催されていた場所も田草川のほとりでした。そんな故郷の川なのに一番の仲良しのはずの子供達を田草川で見かけることが少ないのです(余談だけどそんな水際で遊ぶ子供達をミズガキと呼ぶらしいです)
tagusa2005_0821AS.jpg


そんな田草川(そして日川)の定期的な水質の調査を実施しているのは勝沼調査(しらべ)隊。地元高校のS先生と田草川流域に住む生徒さんたちのグループです。
tagusa2005_0821AP.jpg



この調査の発端となったのが私も関わっていた勝沼町まちづくりプロジェクト(都市マスタープラン、まちづくり計画、景観ガイドライン作りに携わりました)の「まちあるき」事業でした。そのまちあるきで体験した勝沼は思った以上に魅力の乏しいものでした。遊休農地の多さ、宣伝看板や幟旗のセンスの無さ、ぶどうの傘紙の散乱、景観上好ましくない構造物、交差点や道路に乱立する電柱そしてその上を縦横無尽に走る電線、そしてさらに愕然としてしまったのが勝沼を流れる川に捨てられた空き缶や肥料の袋の多さ、異臭を放ちながら川に注ぐ用水路。これが曲がりなりにも果樹産地では全国でも有数とされる勝沼の姿なのか。そういえば農薬の残留液が流されたためか川の水が異常に変色してしまったという話も聞いたことがありました。
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ショックを受けた私たちは川の水質を専門に調査している大学の先生を招いて話を聞きました。川は正直、上流の汚染がそのまま下流に流れる。川は地域の健康のバロメーター川をきれいにすることが地域を住みやすくする第一歩である。ということを学びました。

川をきれいにすれば子供達は川で遊ぶであろうし、川から様々なことを学ぶであろうし、疲れた大人たちも憩うであろうし癒されるだろう・・ということはわざわざお金を使って公園を造らなくてもいいかもしれない。川をきれいにすれば散歩道として活用され、ウオーキングが盛んになりメタボが少なくなるかもしれない。川をきれいにする活動こそがまちづくりの第一歩になると思えるようになりました。
DSCF0101.jpg



つづく

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2007/11/05 23:38|勝沼のこと

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